バルトーク記念館への経路と姓名の順番と銅像について【2017夏・中欧4カ国旅行記(10)】 [旅行・乗り物]
「20世紀ハンガリーを代表するあの作曲家の記念館を目指す【2017夏・中欧4カ国旅行記(09)】」から続きます。
さて、地下鉄2号線のセール・カルマン広場駅から路線番号5番のバスに乗って、終点Pasaréti tér(パサレティ広場) で下車。
目指すのは作曲家バルトークの記念館です。
バスを降りて真っすぐ進むと、すぐ先がロータリーになっており、向かい側に教会が建っています。
道を渡ると教会前に案内板があって「バルトーク記念館→」と示しています。
閑静な住宅街の道をだらだらと登っていくと、途中、分かれ道があって、多くの車は右の方に上がって行きますが、そこを左に進みます。
"Emlékház"はハンガリー語で「記念館」の意味だそうです。
先ほどの分かれ道の次の交差点右に、目指すバルトーク記念館があります。
名前は一般にベラ・バルトークと表記されることが多いんですが、ハンガリー語では実はバルトーク・ベラ(Bartók Béla)、つまり姓(名字)が先で名が後となります。
アジア(東アジア)と同じですね。
ご存知の方も多いと思いますが、ハンガリーは「フン族」、つまりアジア方面から来た騎馬民族が建てた国ということで、名前の順番もアジア的なのでしょう。
(この「アジアでは姓が先」という話、私たちを案内してくれたガイドの女性は知らなかったようです。)
この記念館の建物ですが、バルトークが実際に暮らしていた家だそうです。
(一部階段などの設備を増築しているとのこと。)
案内の女性が、英語でいろいろ説明してくれます。
このとき、訪問者は私と家人だけ(入館するとき入れ違いで出ていく人がいましたが、来館者かどうかは不明)。
専属のガイド付きですね。
なお、この記念館は「ブダペストカード」を提示すると入館料(1人1,200フォリント=600円前後)が無料です。
館内は残念ながら撮影禁止ですが、バルトークの身の回りの品などが展示されていて、小さなコンサートホールもあります。
庭は撮影OKなので…。
そして、こちらが庭に立つバルトークの像。
小柄な人だったそうです。
バルトークはこの家で、多くの作品を作曲し、1940年にアメリカに移住するまで住んでいました。
ユダヤ人ではありませんでしたが、当時のヨーロッパの政治的雰囲気を嫌い、また芸術・音楽研究上の自由を求めての移住だったそうです。
(1945年にニューヨークで亡くなっています。)
今年7月に私自身、「舞踏組曲」を演奏したばかりですし、旅行が終わって聴いた9/28のNHK交響楽団演奏会はバルトークの作品ばかりを集めたプログラム。
20世紀を代表する作曲家の1人を身近に感じる時間でした。
(つづく)
さて、地下鉄2号線のセール・カルマン広場駅から路線番号5番のバスに乗って、終点Pasaréti tér(パサレティ広場) で下車。
目指すのは作曲家バルトークの記念館です。
バスを降りて真っすぐ進むと、すぐ先がロータリーになっており、向かい側に教会が建っています。
道を渡ると教会前に案内板があって「バルトーク記念館→」と示しています。
閑静な住宅街の道をだらだらと登っていくと、途中、分かれ道があって、多くの車は右の方に上がって行きますが、そこを左に進みます。
"Emlékház"はハンガリー語で「記念館」の意味だそうです。
先ほどの分かれ道の次の交差点右に、目指すバルトーク記念館があります。
名前は一般にベラ・バルトークと表記されることが多いんですが、ハンガリー語では実はバルトーク・ベラ(Bartók Béla)、つまり姓(名字)が先で名が後となります。
アジア(東アジア)と同じですね。
ご存知の方も多いと思いますが、ハンガリーは「フン族」、つまりアジア方面から来た騎馬民族が建てた国ということで、名前の順番もアジア的なのでしょう。
(この「アジアでは姓が先」という話、私たちを案内してくれたガイドの女性は知らなかったようです。)
この記念館の建物ですが、バルトークが実際に暮らしていた家だそうです。
(一部階段などの設備を増築しているとのこと。)
案内の女性が、英語でいろいろ説明してくれます。
このとき、訪問者は私と家人だけ(入館するとき入れ違いで出ていく人がいましたが、来館者かどうかは不明)。
専属のガイド付きですね。
なお、この記念館は「ブダペストカード」を提示すると入館料(1人1,200フォリント=600円前後)が無料です。
館内は残念ながら撮影禁止ですが、バルトークの身の回りの品などが展示されていて、小さなコンサートホールもあります。
庭は撮影OKなので…。
そして、こちらが庭に立つバルトークの像。
小柄な人だったそうです。
バルトークはこの家で、多くの作品を作曲し、1940年にアメリカに移住するまで住んでいました。
ユダヤ人ではありませんでしたが、当時のヨーロッパの政治的雰囲気を嫌い、また芸術・音楽研究上の自由を求めての移住だったそうです。
(1945年にニューヨークで亡くなっています。)
今年7月に私自身、「舞踏組曲」を演奏したばかりですし、旅行が終わって聴いた9/28のNHK交響楽団演奏会はバルトークの作品ばかりを集めたプログラム。
20世紀を代表する作曲家の1人を身近に感じる時間でした。
(つづく)
東欧と言えどヨーロッパなので、名前の順はおもしろい話でした。
顔だちもアジアの匂いを感じさせるものなのでしょうか?
by YAP (2017-10-03 08:20)
YAPさま
我々から見ると、ヨーロッパ人(白人)にしか見えないんですが、でもポーランドやオーストリアの人と比べると、どこか違う気がしました。
中国でも、北方と南方では顔つきや体型が違っていて、北の方の人が体格がいいんですが、ヨーロッパでもそういうことがるのかもしれません。
by Lionbass (2017-10-08 16:15)