「ベートーヴェン」「ベートーヴェンと日本人」「神聖ローマ帝国」=読み終わった本(2020.12) [読書]
「読み終わった本」リスト(備忘録)、2020年12月分です。
最近、通勤というものをしないので読書時間=読書量がかなり減った気がします。
▼読み終わった本
*「ベートーヴェン 音楽の革命はいかに成し遂げられたか」
中野雄・著、文春新書
生誕250年に合わせ刊行のベートーヴェン評伝。
ベートーヴェンの伝記はこれまでにもたくさん出ていて、この本はそんなに目新しい内容はありませんが、よくまとまっていて分かりやすいと思いました。
▼読み終わった本
*「ベートーヴェンと日本人」
浦久俊彦・著、新潮新書
こちらは、ベートーヴェン本人についてはまったく触れず、その音楽が日本でどのように受け入れられたかを考察した本。
明治維新後の国づくりと、ドイツ帝国の成立が同じような時期だったことから、明治政府はドイツからいろんなものを学んだわけですが、その中にクラシック音楽もあったわけです。
カバー袖にある文章を採録すると「幕末から明治にかけての日本人には『耳障り』だったクラシック音楽は、『軍事制度』の一環として社会に浸透し、ドイツ教養主義の風潮とともに『文化』として根付いていった。そして日本はベートーヴェンが『楽聖』となり、世界のどこよりも『第九』が演奏される国となっていく……。明治・大正のクラシック音楽受容の進展を描きながら、西欧文明と出会った日本の『文化的変容』を描き出す。」ということになります。
▼読み終わった本
*「神聖ローマ帝国」
菊池良生・著、講談社現代新書
前の本について、「ドイツ帝国の成立」と書きましたが、ベートーヴェンが生まれたとき、その生地ボンは「神聖ローマ帝国」の中の都市でした。
ということで、ドイツの歴史を考えるためには「神聖ローマ帝国」についても知る必要があると思い、読んでみました。
なかなか難しいんですが、歴史の授業で聞いたことがある「カノッサの屈辱」とか「アビニヨン捕囚」などの用語が出てきて、改めて「ああそういうことだったのか」と思わされました。
なかなか勉強になる本でした。
▼読み終わった本
*「日本語をどう書くか」
柳父章・著、角川ソフィア文庫
現代に生きる私たちは、文語と口語の使い分けをあまり意識していませんが、これは両者がまったく同じということではないと思います。
日本では歴史的に文語と口語はまったく違ったもので、長い間、公式の文書は漢文で書くのが正式だったわけです。
明治以降、言文一致などの動きもあり、その後公式文書は漢文ではなくなりましたが、では文章を書くのに適した「文体」がどのようなものなのか、いろいろと試行錯誤があったようです。
また、外国語の文章を翻訳する際に、それまでの日本語にはなかった文体も生まれました。
もう一度じっくり読んでさらに勉強したい本でした。
最近、通勤というものをしないので読書時間=読書量がかなり減った気がします。
▼読み終わった本
*「ベートーヴェン 音楽の革命はいかに成し遂げられたか」
中野雄・著、文春新書
生誕250年に合わせ刊行のベートーヴェン評伝。
ベートーヴェンの伝記はこれまでにもたくさん出ていて、この本はそんなに目新しい内容はありませんが、よくまとまっていて分かりやすいと思いました。
▼読み終わった本
*「ベートーヴェンと日本人」
浦久俊彦・著、新潮新書
こちらは、ベートーヴェン本人についてはまったく触れず、その音楽が日本でどのように受け入れられたかを考察した本。
明治維新後の国づくりと、ドイツ帝国の成立が同じような時期だったことから、明治政府はドイツからいろんなものを学んだわけですが、その中にクラシック音楽もあったわけです。
カバー袖にある文章を採録すると「幕末から明治にかけての日本人には『耳障り』だったクラシック音楽は、『軍事制度』の一環として社会に浸透し、ドイツ教養主義の風潮とともに『文化』として根付いていった。そして日本はベートーヴェンが『楽聖』となり、世界のどこよりも『第九』が演奏される国となっていく……。明治・大正のクラシック音楽受容の進展を描きながら、西欧文明と出会った日本の『文化的変容』を描き出す。」ということになります。
▼読み終わった本
*「神聖ローマ帝国」
菊池良生・著、講談社現代新書
前の本について、「ドイツ帝国の成立」と書きましたが、ベートーヴェンが生まれたとき、その生地ボンは「神聖ローマ帝国」の中の都市でした。
ということで、ドイツの歴史を考えるためには「神聖ローマ帝国」についても知る必要があると思い、読んでみました。
なかなか難しいんですが、歴史の授業で聞いたことがある「カノッサの屈辱」とか「アビニヨン捕囚」などの用語が出てきて、改めて「ああそういうことだったのか」と思わされました。
なかなか勉強になる本でした。
▼読み終わった本
*「日本語をどう書くか」
柳父章・著、角川ソフィア文庫
現代に生きる私たちは、文語と口語の使い分けをあまり意識していませんが、これは両者がまったく同じということではないと思います。
日本では歴史的に文語と口語はまったく違ったもので、長い間、公式の文書は漢文で書くのが正式だったわけです。
明治以降、言文一致などの動きもあり、その後公式文書は漢文ではなくなりましたが、では文章を書くのに適した「文体」がどのようなものなのか、いろいろと試行錯誤があったようです。
また、外国語の文章を翻訳する際に、それまでの日本語にはなかった文体も生まれました。
もう一度じっくり読んでさらに勉強したい本でした。
日本語は難しいです。
ブログを書き続けていることで、少しは役に立っているのかな?
自問自答です。
by YAP (2021-01-06 18:23)
YAPさま
考えてみれば、現在ほど多くの人が「他人に読んでもらうために」文章を書いている時代はなかったでしょう。
このことは、日本語にいろんな影響を与えているのではないかと思います。
そして、書くこと(アウトプット)と同じくらい読むこと(インプット)も大事なのではないだろうか、と思ってます。
by Lionbass (2021-01-11 22:28)