ホイリゲ・ランチと再びの『ベートーヴェンの散歩道』【2017夏・中欧4カ国旅行記(46)】 [旅行・乗り物]
「作曲家マーラーと妻アルマのお墓は”微妙な距離”(?)【2017夏・中欧4カ国旅行記(45)】」から続きます。
ウィーン北西、グリンツィングにあるマーラーと妻アルマのお墓にお参りしたあとは、ランチの時間です。
このグリンツィング地区には、ハイリゲンシュタット地区と同様、ホイリゲ(ワイン酒場)がたくさんあります。
2〜3軒回って、こちらのマルティンゼップというお店に入ります。
前日の夕方入ったお店と同様、中庭に席があります。
天気が良くて暑かったので、ワインではなくビールを注文。
家人はシュプリッツァーというワインを炭酸で割った飲み物です。
前日は作り置きのお惣菜のようなものをいただきましたが、このお店は肉料理なども提供しています。
写真手前はローストチキンです。
食事を終えて付近を散策。
ワイン用のブドウ畑が広がっています。
近くなので、前日も訪れた「ベートーヴェンの散歩道」へ。
途中「ベートーヴェン公園」があります。
特に変わったことはない普通の公園のようです…。
前日も写真を撮ったベートーヴェンの像。
近くの住宅街のゴミ集積場。
ガラス瓶を色別に捨てるようになっています。
(つづく)
ウィーン北西、グリンツィングにあるマーラーと妻アルマのお墓にお参りしたあとは、ランチの時間です。
このグリンツィング地区には、ハイリゲンシュタット地区と同様、ホイリゲ(ワイン酒場)がたくさんあります。
2〜3軒回って、こちらのマルティンゼップというお店に入ります。
前日の夕方入ったお店と同様、中庭に席があります。
天気が良くて暑かったので、ワインではなくビールを注文。
家人はシュプリッツァーというワインを炭酸で割った飲み物です。
前日は作り置きのお惣菜のようなものをいただきましたが、このお店は肉料理なども提供しています。
写真手前はローストチキンです。
食事を終えて付近を散策。
ワイン用のブドウ畑が広がっています。
近くなので、前日も訪れた「ベートーヴェンの散歩道」へ。
途中「ベートーヴェン公園」があります。
特に変わったことはない普通の公園のようです…。
前日も写真を撮ったベートーヴェンの像。
近くの住宅街のゴミ集積場。
ガラス瓶を色別に捨てるようになっています。
(つづく)
作曲家マーラーと妻アルマのお墓は”微妙な距離”(?)【2017夏・中欧4カ国旅行記(45)】 [旅行・乗り物]
「プラター遊園地で観覧車とミニ鉄道に乗る【2017夏・中欧4カ国旅行記(44)】」から続きます。
ウィーン市民の憩いの場、プラター遊園地で観覧車とミニ鉄道に乗ったあと、次の目的地に向かいます。
(滞在最終日で夕方にはウィーンを離れることになっています。)
プラター近くにある怪しげな(?)「アジア料理店」。(入店してません。)
回転寿司と火鍋(ほかにインド料理かアジア料理)が食べられるようです。
プラターシュテルン駅から地下鉄に乗ります。
トラムに乗り換えて、ハイリゲンシュタットに隣接するグリンツィングというところへ向かいます。
目的地はこちらの墓地です。
誰のお墓があるかというと、作曲家グスタフ・マーラーのものです。
マーラーはボヘミア(現在のチェコ)に生まれ、ウィーン国立歌劇場の指揮者などとして活躍する一方、10曲以上の交響曲などを残しましたが、1911年に50歳で亡くなりました。
墓石の上に石が載っているのは、お墓まいりに訪れた人たちが投げたものだとか。
そして、マーラーのお墓とほぼ背中合わせ(数基分ずれてますが隣の「列」)の位置に、妻アルマ・マーラーの墓があります。
たぶん十数メートル離れているわけで、「隣り合ってはいない」ものの「そんなに離れてもいない」という『微妙な距離』ですね。
アルマはマーラーより20歳ほど年下で、マーラーの死後、2度結婚していて、墓石には最後の夫の姓を含む「アルマ・マーラー・ウェルフェル」という名前が刻まれています。
アルマは、85歳だった1964年にアメリカで亡くなっています。
こちらは墓地の正面入り口。
(つづく)
ウィーン市民の憩いの場、プラター遊園地で観覧車とミニ鉄道に乗ったあと、次の目的地に向かいます。
(滞在最終日で夕方にはウィーンを離れることになっています。)
プラター近くにある怪しげな(?)「アジア料理店」。(入店してません。)
回転寿司と火鍋(ほかにインド料理かアジア料理)が食べられるようです。
プラターシュテルン駅から地下鉄に乗ります。
トラムに乗り換えて、ハイリゲンシュタットに隣接するグリンツィングというところへ向かいます。
目的地はこちらの墓地です。
誰のお墓があるかというと、作曲家グスタフ・マーラーのものです。
マーラーはボヘミア(現在のチェコ)に生まれ、ウィーン国立歌劇場の指揮者などとして活躍する一方、10曲以上の交響曲などを残しましたが、1911年に50歳で亡くなりました。
墓石の上に石が載っているのは、お墓まいりに訪れた人たちが投げたものだとか。
そして、マーラーのお墓とほぼ背中合わせ(数基分ずれてますが隣の「列」)の位置に、妻アルマ・マーラーの墓があります。
たぶん十数メートル離れているわけで、「隣り合ってはいない」ものの「そんなに離れてもいない」という『微妙な距離』ですね。
アルマはマーラーより20歳ほど年下で、マーラーの死後、2度結婚していて、墓石には最後の夫の姓を含む「アルマ・マーラー・ウェルフェル」という名前が刻まれています。
アルマは、85歳だった1964年にアメリカで亡くなっています。
こちらは墓地の正面入り口。
(つづく)
プラター遊園地で観覧車とミニ鉄道に乗る【2017夏・中欧4カ国旅行記(44)】 [旅行・乗り物]
「ホイリゲの白ワインとカーレンベルクの丘【2017夏・中欧4カ国旅行記(43)】」から続きます。
さて、オーストリア滞在も最終日。
ウィーン中央駅の北東側にあるイビス・ウィーン・ハウプトバーンホフに泊まっています。
ホテルの宿泊に朝食は付けていないので、食べに出かけます。
前日は駅構内(地下)のカフェでしたが、この日は駅前(南側)へ。
(写真は駅の外観)
フェルバーというベーカリーカフェに入り、コーヒーとパンをいただきます。
チェックアウトして荷物を預けて出かけます。
行き先はプラター遊園地。
映画「第三の男」の舞台となったことで知られています。
プラターのシンボルはこちらの観覧車。
19世紀末(1897年)に造られたそうです。
1つのゴンドラに10人以上乗れます。
てっぺん付近からの眺望はこんな感じ。
高さ65mだということです。
隣のゴンドラを見ると貸切になっています。
中で食事できるようですね。
プラター遊園地のもう一つの名物が、リリプットバーンという名前のこちらのミニチュア鉄道。
「プラター中央駅」から出発します。
観覧車とミニ鉄道に乗って、園内を見て回ったところで、遊園地を後にします。
(つづく)
さて、オーストリア滞在も最終日。
ウィーン中央駅の北東側にあるイビス・ウィーン・ハウプトバーンホフに泊まっています。
ホテルの宿泊に朝食は付けていないので、食べに出かけます。
前日は駅構内(地下)のカフェでしたが、この日は駅前(南側)へ。
(写真は駅の外観)
フェルバーというベーカリーカフェに入り、コーヒーとパンをいただきます。
チェックアウトして荷物を預けて出かけます。
行き先はプラター遊園地。
映画「第三の男」の舞台となったことで知られています。
プラターのシンボルはこちらの観覧車。
19世紀末(1897年)に造られたそうです。
1つのゴンドラに10人以上乗れます。
てっぺん付近からの眺望はこんな感じ。
高さ65mだということです。
隣のゴンドラを見ると貸切になっています。
中で食事できるようですね。
プラター遊園地のもう一つの名物が、リリプットバーンという名前のこちらのミニチュア鉄道。
「プラター中央駅」から出発します。
観覧車とミニ鉄道に乗って、園内を見て回ったところで、遊園地を後にします。
(つづく)
ホイリゲの白ワインとカーレンベルクの丘【2017夏・中欧4カ国旅行記(43)】 [旅行・乗り物]
「『田園』の着想を得た小川のほとりの散歩道へ【2017夏・中欧4カ国旅行記(42)】」から続きます。
「ベートーヴェンの家」が何軒もあるウィーン郊外ハイリゲンシュタットはホイリゲでも有名です。
「ホイリゲ」とはウィーン独特のワイン酒場のこと。
一帯で昔からワイン用のブドウが栽培されていることから、何軒ものホイリゲが営業しています。
こちらは、先に紹介した「ベートーヴェンが暮らしていた家」のホイリゲ、マイヤー・アム・プファールプラッツ(Mayer am Pfarrplatz)です。
「予約で満席」ということで入店できません。
こちらは「ハイリゲンシュタットの遺書の家」のすぐ近くにある「ホイリガー・ムート」(Heuriger Muth)というホイリゲ。
こちらはすぐに入れました。
こんな感じの中庭で飲むことができます。
従業員の女性にワインを頼みます。
こんな感じにジョッキに入って出て来ます。
地元で醸造している若いお酒ということで、軽い口当たりでとても飲みやすいと思います。
おつまみですが、カウンターに行き、お惣菜や出来合いのものを代金引換で受け取るようになっています。
夕方5時くらいでそんなに空腹ではないので、こんな感じで大満足…。
ホイリゲで軽く夕食を済ませたあとは、まだ明るいので、近くの展望スポットへバスで向かいます。
38Aという系統のバス。
終点が「カーレンベルク(Kahlenberg)の丘」です。
付近に展望台があって、ウィーンの街を一望できます。
市街地の北西にあたるので、日の出の時間帯だと朝焼けが見られるかもしれません。
素晴らしい眺望を堪能した後は、バスとトラムでウィーンに戻ります。
途中で地下鉄2号線に乗り換え。
さらにカールスプラッツで1号線に乗り換え、ホテルに戻ります。
(つづく)
「ベートーヴェンの家」が何軒もあるウィーン郊外ハイリゲンシュタットはホイリゲでも有名です。
「ホイリゲ」とはウィーン独特のワイン酒場のこと。
一帯で昔からワイン用のブドウが栽培されていることから、何軒ものホイリゲが営業しています。
こちらは、先に紹介した「ベートーヴェンが暮らしていた家」のホイリゲ、マイヤー・アム・プファールプラッツ(Mayer am Pfarrplatz)です。
「予約で満席」ということで入店できません。
こちらは「ハイリゲンシュタットの遺書の家」のすぐ近くにある「ホイリガー・ムート」(Heuriger Muth)というホイリゲ。
こちらはすぐに入れました。
こんな感じの中庭で飲むことができます。
従業員の女性にワインを頼みます。
こんな感じにジョッキに入って出て来ます。
地元で醸造している若いお酒ということで、軽い口当たりでとても飲みやすいと思います。
おつまみですが、カウンターに行き、お惣菜や出来合いのものを代金引換で受け取るようになっています。
夕方5時くらいでそんなに空腹ではないので、こんな感じで大満足…。
ホイリゲで軽く夕食を済ませたあとは、まだ明るいので、近くの展望スポットへバスで向かいます。
38Aという系統のバス。
終点が「カーレンベルク(Kahlenberg)の丘」です。
付近に展望台があって、ウィーンの街を一望できます。
市街地の北西にあたるので、日の出の時間帯だと朝焼けが見られるかもしれません。
素晴らしい眺望を堪能した後は、バスとトラムでウィーンに戻ります。
途中で地下鉄2号線に乗り換え。
さらにカールスプラッツで1号線に乗り換え、ホテルに戻ります。
(つづく)
マエストロ・デュトワの棒は爽快でした【N響B定期を聴く】 [音楽]
きのうは(恐らく)今年最後のサントリーホール詣ででした。
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
NHK交響楽団 第1875回定期公演 Bプログラム
日時:2017年12月14日(木)午後7時開演
会場:サントリーホール(東京・赤坂)
指揮:シャルル・デュトワ(名誉音楽監督)
独唱:アンナ・プロハスカ(ソプラノ)
曲目:ハイドン交響曲 第85番 変ロ長調「女王」
細川俊夫 ソプラノとオーケストラのための「嘆き」― ゲオルク・トラークルの詩による
メンデルスゾーン/交響曲 第3番 イ短調 作品56「スコットランド」
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
1曲目はハイドン。
ハイドンは演奏する機会が少なくて、この曲は聴くのも初めてでした。
オケは小編成ですが、結構ぶ厚く聞こえる部分もあり、でも機動力のある演奏でした。
2曲目は現代日本の作曲家、細川俊夫の2013年の作品。
苦手分野なので、感想は差し控えます。
後半のメンデルスゾーンは何度か演奏したことがあります。
メンデルスゾーンが20歳のころにイギリス・エディンバラを訪れた際に着想したということで、「スコットランド」のタイトルで呼ばれています。
彼はユダヤ系の銀行家の家に生まれ、恵まれた生活を送っていたそうで、このイギリス旅行は現代で言えば「卒業旅行」などにあたるようなものだったのでしょう。
(翌年にはイタリアも旅行したそうです。)
演奏面では、難しいところが多いんですが、当然ながらN響は素晴らしい演奏でした。
そして、全体として、マエストロ・デュトワの棒は爽快そのもの。
ぐいぐい前に進むんですが、決してオケを置き去りにはせず、とても前向きな演奏だと思いました。指揮の技法として「先入」とか「先振り」というやり方があるんですが、マエストロ・デュトワはその究極の例なのかもしれません。
「うなり声」もかなり聞こえてきましたが、「もっと先へ進もう」というときに声が大きかったような気もします…。
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
NHK交響楽団 第1875回定期公演 Bプログラム
日時:2017年12月14日(木)午後7時開演
会場:サントリーホール(東京・赤坂)
指揮:シャルル・デュトワ(名誉音楽監督)
独唱:アンナ・プロハスカ(ソプラノ)
曲目:ハイドン交響曲 第85番 変ロ長調「女王」
細川俊夫 ソプラノとオーケストラのための「嘆き」― ゲオルク・トラークルの詩による
メンデルスゾーン/交響曲 第3番 イ短調 作品56「スコットランド」
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
1曲目はハイドン。
ハイドンは演奏する機会が少なくて、この曲は聴くのも初めてでした。
オケは小編成ですが、結構ぶ厚く聞こえる部分もあり、でも機動力のある演奏でした。
2曲目は現代日本の作曲家、細川俊夫の2013年の作品。
苦手分野なので、感想は差し控えます。
後半のメンデルスゾーンは何度か演奏したことがあります。
メンデルスゾーンが20歳のころにイギリス・エディンバラを訪れた際に着想したということで、「スコットランド」のタイトルで呼ばれています。
彼はユダヤ系の銀行家の家に生まれ、恵まれた生活を送っていたそうで、このイギリス旅行は現代で言えば「卒業旅行」などにあたるようなものだったのでしょう。
(翌年にはイタリアも旅行したそうです。)
演奏面では、難しいところが多いんですが、当然ながらN響は素晴らしい演奏でした。
そして、全体として、マエストロ・デュトワの棒は爽快そのもの。
ぐいぐい前に進むんですが、決してオケを置き去りにはせず、とても前向きな演奏だと思いました。指揮の技法として「先入」とか「先振り」というやり方があるんですが、マエストロ・デュトワはその究極の例なのかもしれません。
「うなり声」もかなり聞こえてきましたが、「もっと先へ進もう」というときに声が大きかったような気もします…。
『田園』の着想を得た小川のほとりの散歩道へ【2017夏・中欧4カ国旅行記(42)】 [旅行・乗り物]
「『ハイリゲンシュタットの遺書』を書いた家へ【2017夏・中欧4カ国旅行記(41)】」から続きます。
引き続きウィーンの郊外、ハイリゲンシュタットをうろうろしています。
「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた家などを見た後は、少し移動して次の場所へ。
途中「ヌスドルフ」というトラムの終点があります。
(近くには鉄道=Sバーンの同名の駅もあります。)
日本の路面電車と違って、運転台は片方にしかないので、終点はループ線になっていて、電車はぐるっと回って方向転換します。
次に向かったのはこの近くの「ベートーヴェンの散歩道」です。
こちらは、「ベートーヴェン通り」と「エロイカ通り」の交わるところにある表示。
道路沿いには住宅が立ち並んでいます。
「ベートーヴェン通り2番地」の住居表示。
そして、この通りに沿って「小川」が流れています。
シュライバーバッハ(Schreiberbach)という名前の川ですが、このあたりはベートーヴェンがよく散歩していました。
この風景を見て、交響曲第6番「田園」の着想を得たとされています。
「田園」の第2楽章は、「小川のほとりの情景」という副題が付けられていて、まさにこの小川を描写したものだということです。
以前も来たことがあって、初めて見たときは「田園というよりは雑木林だなあ」と思いました。
「田園」というと、田んぼや畑が広がっているようなイメージをなんとなく持っていたので…。
通りから少し目を転じるとこのような丘になっています。
現在は住宅街になっていますが、ベートーヴェンの時代はもっとのどかな光景が広がっていたんでしょうね。
付近には「ベートーヴェン公園」があって、こんな胸像が立っています。
(つづく)
引き続きウィーンの郊外、ハイリゲンシュタットをうろうろしています。
「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた家などを見た後は、少し移動して次の場所へ。
途中「ヌスドルフ」というトラムの終点があります。
(近くには鉄道=Sバーンの同名の駅もあります。)
日本の路面電車と違って、運転台は片方にしかないので、終点はループ線になっていて、電車はぐるっと回って方向転換します。
次に向かったのはこの近くの「ベートーヴェンの散歩道」です。
こちらは、「ベートーヴェン通り」と「エロイカ通り」の交わるところにある表示。
道路沿いには住宅が立ち並んでいます。
「ベートーヴェン通り2番地」の住居表示。
そして、この通りに沿って「小川」が流れています。
シュライバーバッハ(Schreiberbach)という名前の川ですが、このあたりはベートーヴェンがよく散歩していました。
この風景を見て、交響曲第6番「田園」の着想を得たとされています。
「田園」の第2楽章は、「小川のほとりの情景」という副題が付けられていて、まさにこの小川を描写したものだということです。
以前も来たことがあって、初めて見たときは「田園というよりは雑木林だなあ」と思いました。
「田園」というと、田んぼや畑が広がっているようなイメージをなんとなく持っていたので…。
通りから少し目を転じるとこのような丘になっています。
現在は住宅街になっていますが、ベートーヴェンの時代はもっとのどかな光景が広がっていたんでしょうね。
付近には「ベートーヴェン公園」があって、こんな胸像が立っています。
(つづく)
『ハイリゲンシュタットの遺書』を書いた家へ【2017夏・中欧4カ国旅行記(41)】 [旅行・乗り物]
「ベートーヴェンゆかりのハイリゲンシュタットへ【2017夏・中欧4カ国旅行記(40)】」から続きます。
「ベートーヴェンは引っ越し魔だった」という話は書きましたが、ウィーン郊外のハイリゲンシュタット地区の中にも、「ベートーヴェンが暮らした家」が何軒もあります。
その中で一番『有名』なのが、「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いたこちらの家です。
ベートーヴェンは若い頃から耳の不調に苦しんでいましたが、1802年、32歳のころ、身内(弟やおい)に宛てて『遺書』を書きました。
それが「ハイリゲンシュタットの遺書」で、難聴についての絶望や人生の苦しさなどを綴っていますが、その後も作品を生み出し続けました。
この「遺書」は、あたかも芸術についての決意を新たにしたかのような時期に書かれており、その意味でも重要とされています。
その「遺書の家」の近くには、「ホイリゲ」(ウィーン独特のワイン酒場)が何軒もあるんですが、そのうちの1軒にはベートーヴェンが住んでいたことがあるそうで、それを誇るかのような看板が掲げられています。
付近の道は「エロイカ通り」と名付けられています。
(「エロイカ」は交響曲第3番の『副題』)
そして、ハイリゲンシュタット地区にあるもう1軒の「家」がこちら。
「1817年夏に住んでいた」ということですから、ベートーヴェンは46歳くらい。
(つづく)
「ベートーヴェンは引っ越し魔だった」という話は書きましたが、ウィーン郊外のハイリゲンシュタット地区の中にも、「ベートーヴェンが暮らした家」が何軒もあります。
その中で一番『有名』なのが、「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いたこちらの家です。
ベートーヴェンは若い頃から耳の不調に苦しんでいましたが、1802年、32歳のころ、身内(弟やおい)に宛てて『遺書』を書きました。
それが「ハイリゲンシュタットの遺書」で、難聴についての絶望や人生の苦しさなどを綴っていますが、その後も作品を生み出し続けました。
この「遺書」は、あたかも芸術についての決意を新たにしたかのような時期に書かれており、その意味でも重要とされています。
その「遺書の家」の近くには、「ホイリゲ」(ウィーン独特のワイン酒場)が何軒もあるんですが、そのうちの1軒にはベートーヴェンが住んでいたことがあるそうで、それを誇るかのような看板が掲げられています。
付近の道は「エロイカ通り」と名付けられています。
(「エロイカ」は交響曲第3番の『副題』)
そして、ハイリゲンシュタット地区にあるもう1軒の「家」がこちら。
「1817年夏に住んでいた」ということですから、ベートーヴェンは46歳くらい。
(つづく)
ブラームスは落ち着いた好演でした【フルシャ=都響を聴く】 [音楽]
きのうは久しぶりに東京都響を聴きに行きました。
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
東京都交響楽団 第844回 定期演奏会Aシリーズ
日時:2017年12月11日(月)19:00開演
場所:東京文化会館大ホール(東京・上野)
指揮:ヤクブ・フルシャ(首席客演指揮者)
曲目:ドヴォルザーク 序曲「オセロ」
マルティヌー 交響曲第2番
ブラームス 交響曲第2番 ニ長調
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
都響は定期会員ではないんですが、マエストロ・インバル指揮のマーラー・チクルスなど折に触れて聴いています。
ヤクブ・フルシャはチェコ出身で都響のプリンシパル・ゲスト・コンダクター(首席客演指揮者)ですが、今度の土曜日(12月16日)の演奏会を最後にそのポストを離れるということで、きのうと土曜日がいわば「卒業公演」的な位置づけ。
東京文化会館大ホールは約2,300席ありますが、かなりの客入りでした。
1曲目はドヴォルザークの「オセロ」。
演奏したことがない曲で、聴くのもほぼ初めて。
金管や管楽器の弱音が印象的な曲でした。
2曲目もドヴォルザークと同じチェコの作曲家、マルティヌーの交響曲第2番。
バルトーク(ハンガリー出身の作曲家)の作品に似ているなあ、と思って聴いたんですが、作られたのが第二次大戦中ということで、バルトークの活躍した時期を重なります。
やはり共通点があるんですね。
そして、後半はブラームスの2番。
今年7月に私自身演奏したばかりですが、そのときの録画を見ると、ちょっと心残り。
それに比べれば、とても落ち着いたテンポの演奏で、個人的には好みでした。
遅いテンポゆえでしょうか、第2楽章でちょっとオケの集中力が切れたような箇所がありましたが…。
ところで、プログラムに挟まれた紙や、場内アナウンスで「指揮棒が降りてから拍手してほしい」旨、何度も注意がありました。
幸い「フライングブラボー」おじさん(曲が終わっていないのに声を上げる男性)はいなかったんですが、近くの席に、演奏中ノートに詳細にメモを取っている男性がいて、若干気になりました。
音楽評論家というわけではなさそうでしたが、何もメモしてるんでしょうね…。
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
東京都交響楽団 第844回 定期演奏会Aシリーズ
日時:2017年12月11日(月)19:00開演
場所:東京文化会館大ホール(東京・上野)
指揮:ヤクブ・フルシャ(首席客演指揮者)
曲目:ドヴォルザーク 序曲「オセロ」
マルティヌー 交響曲第2番
ブラームス 交響曲第2番 ニ長調
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
都響は定期会員ではないんですが、マエストロ・インバル指揮のマーラー・チクルスなど折に触れて聴いています。
ヤクブ・フルシャはチェコ出身で都響のプリンシパル・ゲスト・コンダクター(首席客演指揮者)ですが、今度の土曜日(12月16日)の演奏会を最後にそのポストを離れるということで、きのうと土曜日がいわば「卒業公演」的な位置づけ。
東京文化会館大ホールは約2,300席ありますが、かなりの客入りでした。
1曲目はドヴォルザークの「オセロ」。
演奏したことがない曲で、聴くのもほぼ初めて。
金管や管楽器の弱音が印象的な曲でした。
2曲目もドヴォルザークと同じチェコの作曲家、マルティヌーの交響曲第2番。
バルトーク(ハンガリー出身の作曲家)の作品に似ているなあ、と思って聴いたんですが、作られたのが第二次大戦中ということで、バルトークの活躍した時期を重なります。
やはり共通点があるんですね。
そして、後半はブラームスの2番。
今年7月に私自身演奏したばかりですが、そのときの録画を見ると、ちょっと心残り。
それに比べれば、とても落ち着いたテンポの演奏で、個人的には好みでした。
遅いテンポゆえでしょうか、第2楽章でちょっとオケの集中力が切れたような箇所がありましたが…。
ところで、プログラムに挟まれた紙や、場内アナウンスで「指揮棒が降りてから拍手してほしい」旨、何度も注意がありました。
幸い「フライングブラボー」おじさん(曲が終わっていないのに声を上げる男性)はいなかったんですが、近くの席に、演奏中ノートに詳細にメモを取っている男性がいて、若干気になりました。
音楽評論家というわけではなさそうでしたが、何もメモしてるんでしょうね…。
年末の定番曲と言えば・・・『くるみ割り人形』なんです【新宿交響楽団演奏会を聴く】 [音楽]
最近、ほとんどの週末に言えるんですが、きのうも聴きに行きたい演奏会がプロ・アマ含めいくつも重なっていました。
結局、1つはリハーサルを見学させてもらったので、家人が賛助出演するこちらを聴きに。
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
新宿交響楽団 第54回定期演奏会
日時:2017年12月10日(日)14:00開演
会場:新宿文化センター大ホール (東京・東新宿)
指揮:小松拓人
語り:茂木亜希子
曲目:ジョン・ウィリアムズ 映画「スター・ウォーズ」組曲
チャイコフスキー 音楽ものがたり(バレエ音楽)「くるみ割り人形」
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
前半は、映画「スターウォーズ」の有名な曲を集めた組曲。
「スターウォーズ」の音楽と言えば、金管楽器が華々しく活躍することで知られていますが、きのうは金管に加え、打楽器も盛り上げていました。
後半はチャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」。
この「くるみ割り人形」、クリスマスイブの夜に起きるファンタジーに満ちた物語なんです。
日本だと、「年末は『第九』(ベートーヴェン交響曲第9番)」が大定番になっていますが、ヨーロッパではこの「くるみ割り人形」や、バッハのミサ曲などを演奏することが多いそうです。
「くるみ割り人形」」では、世界のいろんな国の踊りが出てきたり、有名な「花のワルツ」など、親しみやすい曲満載。
きのうは、バレエはない代わりに、語り(朗読)付きでした。
来場者は年配の人が多かったようですが、子供たちも楽しんでいるようでした。
そういえば、(脈絡ないですが)ロックグループ、エマーソン・レイク&パーマーが「くるみ割り人形」を演奏していたのを思い出しました。
結局、1つはリハーサルを見学させてもらったので、家人が賛助出演するこちらを聴きに。
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
新宿交響楽団 第54回定期演奏会
日時:2017年12月10日(日)14:00開演
会場:新宿文化センター大ホール (東京・東新宿)
指揮:小松拓人
語り:茂木亜希子
曲目:ジョン・ウィリアムズ 映画「スター・ウォーズ」組曲
チャイコフスキー 音楽ものがたり(バレエ音楽)「くるみ割り人形」
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
前半は、映画「スターウォーズ」の有名な曲を集めた組曲。
「スターウォーズ」の音楽と言えば、金管楽器が華々しく活躍することで知られていますが、きのうは金管に加え、打楽器も盛り上げていました。
後半はチャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」。
この「くるみ割り人形」、クリスマスイブの夜に起きるファンタジーに満ちた物語なんです。
日本だと、「年末は『第九』(ベートーヴェン交響曲第9番)」が大定番になっていますが、ヨーロッパではこの「くるみ割り人形」や、バッハのミサ曲などを演奏することが多いそうです。
「くるみ割り人形」」では、世界のいろんな国の踊りが出てきたり、有名な「花のワルツ」など、親しみやすい曲満載。
きのうは、バレエはない代わりに、語り(朗読)付きでした。
来場者は年配の人が多かったようですが、子供たちも楽しんでいるようでした。
そういえば、(脈絡ないですが)ロックグループ、エマーソン・レイク&パーマーが「くるみ割り人形」を演奏していたのを思い出しました。
ベートーヴェンゆかりのハイリゲンシュタットへ【2017夏・中欧4カ国旅行記(40)】 [旅行・乗り物]
「市庁舎とシュテファン大聖堂とターフェルシュピッツ【2017夏・中欧4カ国旅行記(39)】」から続きます。
ウィーン中心部のバイスルでランチをいただいたあと、いったんホテルへ。
ドブリンガーで買い込んだ楽譜が結構重いので、置きに戻るためです。
シュテファンプラッツ駅から地下鉄でウィーン中央駅へ。
一息いれたあと、中央駅構内のカフェでお茶。
エッグタルトとともに。
去年の夏休みにいったポルトガルが早くも懐かしい…。
午後の目的地に向かうため、まず地下鉄1号線でドナウ川に近いシュヴェーデンプラッツ駅へ。
そこで4号線に乗り換えます。
目的地はハイリゲンシュタットです。
ハイリゲンシュタット駅に到着。
バスで目的地に向かいます。
まず訪れたのは、こちらの住宅。
ベートーヴェンが住んでいた家です。
1808年にこの家に住んでいたということで、内部の見学もできるはずなんですが、残念ながら閉鎖中。
読者の皆さんはお気づきのように、この日の午前中もベートーヴェンの住んでいた家(パスクァラティハウス)を訪れました。
ベートーヴェンは『引っ越し魔』で、年に1〜2回転居していたそうです。
ハイリゲンシュタットは当時は『避暑地』だったことから、ベートーヴェンは夏の時期はこの地域にある家に滞在することが多かったんですが、ハイリゲンシュタットの中でも何カ所も引っ越ししています。
(つづく)
ウィーン中心部のバイスルでランチをいただいたあと、いったんホテルへ。
ドブリンガーで買い込んだ楽譜が結構重いので、置きに戻るためです。
シュテファンプラッツ駅から地下鉄でウィーン中央駅へ。
一息いれたあと、中央駅構内のカフェでお茶。
エッグタルトとともに。
去年の夏休みにいったポルトガルが早くも懐かしい…。
午後の目的地に向かうため、まず地下鉄1号線でドナウ川に近いシュヴェーデンプラッツ駅へ。
そこで4号線に乗り換えます。
目的地はハイリゲンシュタットです。
ハイリゲンシュタット駅に到着。
バスで目的地に向かいます。
まず訪れたのは、こちらの住宅。
ベートーヴェンが住んでいた家です。
1808年にこの家に住んでいたということで、内部の見学もできるはずなんですが、残念ながら閉鎖中。
読者の皆さんはお気づきのように、この日の午前中もベートーヴェンの住んでいた家(パスクァラティハウス)を訪れました。
ベートーヴェンは『引っ越し魔』で、年に1〜2回転居していたそうです。
ハイリゲンシュタットは当時は『避暑地』だったことから、ベートーヴェンは夏の時期はこの地域にある家に滞在することが多かったんですが、ハイリゲンシュタットの中でも何カ所も引っ越ししています。
(つづく)